TOP > 部屋の歴史
- 年寄
- 三保ヶ関の名跡は、大阪相撲から弟子達によって現在まで連錦と継承されている。 初代・三保ヶ関梶右衛門:大阪相撲上取力士として22年勤め上げる。
- 2代目
- 三保ヶ関喜八:先代弟子であった桜嶋喜八が、世話人を勤めた後、襲名する。
- 3代目
- 三保ヶ関喜八郎:先代弟子の上取力士・小町川重五郎が現役で引き継いだ。
- 4代目
- 三保ヶ関十五郎:先代が最後の勧進元に当たっていた天保9年5月場所に差添人を勤め、 実質的な勧進元であった世話人の小町川霧之助が受け継いだ。
- 5代目
- 三保ヶ関重五郎:先々代の弟子であった上取力士・ 朝の戸石松が現役で継承した。
- 6代目
- 三保ヶ関喜八郎:3代目の遺弟子であった上取力士・ 諭鶴羽國五郎が引き継いだ。
- 7代目
- 三保ヶ関周蔵:先代弟子であった大関・ 八尾ヶ関周蔵が、引退後に世話人を勤めた後、襲名した。
- 8代目
- 三保ヶ関喜八郎:当初部屋を継承する予定であった高弟、八尾ヶ関宗十朗が病身の為、弟弟子で若者頭を勤めていた元十両・滝ノ海調太郎に8代目が譲られた。昭和2年の東西合併後も暫く大阪に居住し、本場所の折に上京し、出羽海部屋に身を寄せていたが後に墨田区両国1丁目と大阪に居を構えた。
- 9代目
- 三保ヶ関國秋:先代の愛弟子であった大関・増位山大志郎が襲名した。兵庫県姫路市白浜乙出身。 大正8年11月3日生まれ。本名・澤田國秋。昭和10年1月に初土俵を踏み、幕内最高優勝2回、横綱双葉山に2回勝っている。大関在位4場所、昭和25年1月場所限り30歳で引退し、部屋を継いだ。また、三保ヶ関部屋を中央区新富二丁目に構え28年に墨田区千歳三丁目ニの十ニの現在地に移転した。
- 10代目
- 現 三保ヶ関昇秋親方(元大関・増位山):東京都中央区新富町生まれ、墨田区千歳町育ち。昭和23年9月16日生まれ。本名・澤田昇。先代の長男で、42年1月に入門する。2年半後の44年7月十両、45年3月入幕を果たした。十両と幕内を4度往復するが、47年9月から幕内中堅力士として活躍、技能賞5回、年間三賞1回。54年11月関脇で11勝4敗、55年1月は12勝3敗の好成績を上げ、場所後大関に昇進した。大関在位7場所にして56年3月場所中に32歳で引退。年寄・小野川を襲名した後10代目・三保ヶ関を継承して今に至る。
- 会長
- 杉井 孝
- 副会長
- 山本 道廣、飯田 金廣、村中 勇
- 幹事長
- 金枝 厚夫
名古屋三保ヶ関後援会
- 顧問
- 高橋 則行、山内 一生、加藤 令吉
- 会長
- 斎藤 一郎
- 副会長
- 橋元 茂、安井 善宏
- 幹事
- 浅井 鉦蔵、加納 守正、小森 隆一、斎藤 二郎、横山 実
(五十音順) - 会計
- 今井 昌平
- 会計監査
- 金井 光男
私たち三保ヶ関部屋は、相撲という世界に誇れる”国技”に身を置く誇り、相撲道を支える力士の名に恥じないような人間形成を念頭に、日々相撲道に精進しております。三保ヶ関部屋は、関取を増やす為の体力的資質のみを重視した相撲部屋ではありません。「心・技・体」…まず心の修練こそが技や肉体を形作ること、「真の力は、強い精神にこそ宿る」こと、その思いをともにする「同志」「家族」でありたいと考えます。しかしながら、相撲部屋という特異な環境の中で、真の社会人たる人間関係を学んでいくことは容易な事ではありません。相撲を離れた一人間としての立場からも、親方や女将が親となり、兄弟子は本当の兄となり若い力士達の個性を尊重し、育みながら自らも学び成長してゆく。相撲道に対する真摯な気持ちと情熱の共有…そして一社会人として通用する人格の形成…それこそが”相撲道”を基盤にした”三保ヶ関道”なのです。
〒130-0025 墨田区千歳三丁目ニ番十二号 GoogleMapはこちら
















