昇秋の部屋

昇秋の部屋『地域との繋がり』(山屋幸雄氏との対談第1回)

2011/06/30

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『昇秋の部屋』と題し、親方と部屋ゆかりの方々との対談シリーズを企画しました。シリーズの初めは、親方と中学からの長いお付合いで、元三保ケ関部屋後援会幹事長の山屋幸雄さんをお迎えし、お二人の育った環境、人を育てること、地域との関わりについて語っていただきました。

お互いに運動部に入っていたから、クラスは違っても親しいんだよね

平成23年6月4日夕方、行き交う人達の話し声が聞こえ、部屋の開け放たれた扉から時折涼しい風が吹いてくる静かな土俵脇でお話を伺いました。

三保ケ関親方(以下親方) 山屋さんも昭和23年生まれで、中学高校の同級生だったんです。一番近い学校が両国中学だったけれども、そこより日大一中が近いんで、受験して入ったんだ。たまたま山屋さんのお父さんがその時日大一中の後援会長だったんですよね。中学高校と私は水泳。山屋くんは、

山屋幸雄氏(以下山屋) 柔道。

親方 お互いに運動部に入っていたから、クラスは違ってもスポーツの関係って意外と親しいんだよね。

【山屋幸雄】元永代信用組合組合長 現在は東京りんかい商業開発㈱にて地域興しを手掛ける傍 ら、母校日本大学で就職指導にあたっている http://www.tokyo-rinkai.co.jp

山屋 そうですね。1948年の師匠が9月、私が8月生まれですから、本当に近い育ちです。
彼は高校時代にはインターハイにも出て、将来はそのまま水泳界に入って、オリンピックに行くんじゃないかという話が出ていたんですよ。彼は角界に入る以前 に、もうスポーツマンとして将来の世界をにらんでいたわけですよ。団体競技で国体に行くというのはあっても、個人競技で国体に出るというのは大変ですよ ね。彼とは学校時代よりも、関取になったのをきっかけに、彼を応援しようという仲間の片棒を担いで、それから親しくなったんじゃないかな。(注:十両以上の力士を関取と呼ぶ)

親方 ああそうかもしれないね。でもお互い知っていたよ。

山屋 部室も近いしね。

親方 柔道部も強かったよね。水泳では日大からも来いと言われたし、他の大学からも誘われてたんです。でも高校2年のシーズン終わった頃から力士になりたくて、義理もあるし悩んでいたんですよ。

山屋 大学進学まで考えていたんでしょ。

親方 そう。うちの親父には大学に行ってから相撲取りになっても遅くないから大学まで行けって言われていたんだ。親しかった一年後輩が一足先に入門していて、だからもう我慢できなくて、俺もやりたくて。

相撲が好きだったし、水泳じゃ飯食えないし

山屋 師匠が角界に入りたかった理由は何なの?

親方 やっぱり相撲が好きだった。水泳やっている時でも、中学ぐらいからまわし締めて相撲とってたんですよ。高校2年の時には、出げいこで幕下の力士とやって勝ってたから自信があったんですよ。だから、なりたいな、なりたいなって言ってね。水泳じゃ飯食えないしなって。

山屋 やっぱり蛙の子は蛙だね。その気持ちわかりますよ。俺もね、親父が政治家と信用組合の組合長をしていましてね。選挙の時になると選挙事務所が自宅の中に出来るからいろいろな選挙道具が揃ってね。まだ小学校2、3年の頃だろうと思うんだけれども、メガホン持って一人で町歩いてね。

親方 そういうのあるんですよ、門前の小僧じゃないけれども。私の場合も若い衆の部屋に入り浸りだったの、子どもの頃から。
巡業に力士が出ちゃうと、もう寂しくてね。若い衆の部屋に行くと、ビン付けの匂いとかするの。そこに行っちゃー寂しい思いして。巡業から帰って来たら、い ろいろな面白い話を聞かせてくれるんですよ。その土地の話もあるし、こっちのほう(小指を立てる)の話もあるし。そういうのから憧れたっていうのがある。 ただ相撲が好きというだけではなくて、自分の家が相撲部屋だったから、力士の普段の生活全部がなんかいいなぁ、お相撲さんっていいなぁ。力士達もいい話 ばっかりで、あんまり嫌な話しないからね。それで相撲の世界にひかれていったんだね。山屋さんもそうでしょう、お父さんの選挙の手伝いとか。

山屋 やっぱり少年時代の憧れは自分の回りの世界でのいろんな賑わいとか、親父が活躍している姿に尊敬を含めた意味での将来願望というのがあったんじゃないかな。

親方 自分がその年代になってくると、親としては嬉しかっただろうと思うよね。自分の背中を見て、自分の後を継いできてくれるって。

ガタイだけは良くて見栄えはいいけれどもモテないの

S.44年幕下時代

お二人が通われた学校は自宅から近いですが、ガールフレンドとすれ違ったりとか、そのへんのお話が出てこないんですが。

山屋 女性関係といえば、当然角界の力士はもてますからね。ただね、ただ面白かったのが・・・いい?話しちゃって?

親方 うん。

山屋 彼が十両の時だから昭和44年ぐらいかな。我々の学年から十両が出たんで、みんなで化粧回しをお祝いで贈ろうということになってね。でも化粧回し高いんですよ。60万ぐらいかな。我々は大学生で金がないけど、何とかおこずかいから捻出して、蔵前にあった隅田川温泉で祝賀会をやって化粧回しの贈呈をしたんです。そこまでは良かったんだけど、その後、二次会へ行こうということになって、確か銀座の白薔薇か錦糸町かどっちか忘れたけれど、キャバレーに行ったのね。さぞかし彼がもてるだろうと思ったんですが、まだ十両だと名前が売れてないでしょ。180センチ90キロでガタイだけは良くて確かに見栄えはいいけれども、その頃の女性ってね、そういう巨漢に憧れをもっていないのね。だからもてないの。

親方 だってその当時、ちょっといいなと思った女の人と喋っただけで顔が赤くなる。本当にウブだった。それがね、経験って恐ろしいもんだね。(笑い)

山屋 我々は大学で女の子たちと一緒に合コンなんかしているから、いくらでもキャバレーの女の子と話すから、もてるわけですよ。

親方 そうそう。大学は男女共学で、私、中学高校は男だけ。それで男の世界入ったでしょう。この近所に俺の初恋の人がいてね。幕下時代にそこの前を通ったら、たまたま家の中から出てきたの。その子が。あらあって言って。「あ!どうも」って、俺も真っ赤になってね。「お相撲さんになったんだ」って言って「うん」って言いながら、そのまま歩いて帰ってきちゃった。(笑い)そのぐらいウブだったの。ある程度年齢いったら銀座行ったり、結構遊びに行ったけど。根はやっぱりね。

山屋 真面目だよね。

親方 真面目。二人で言ったら世話ないか。

この対談は、まだまだ続きます。次回掲載をお楽しみに!

※本日の対談のお相手は

【山屋幸雄】元永代信用組合組合長 現在は東京りんかい商業開発㈱にて地域興しを手掛ける傍 ら、母校日本大学で就職指導にあたっている http://www.tokyo-rinkai.co.jp

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